HISTORY沿革
昭和43年 2月 |
日造市原ポンプ株式会社の創立者 故 光野源三氏の援助によりGM精機工業として営業開始 日造市原ポンプ株式会社の協力工場として、防衛庁、東京消防庁、大阪市消防局等の消防ポンプ自動車、化学消防ポンプ自動車、小型動力ポンプ付水槽車の作業に従事 |
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昭和46年 7月 |
創業以来九十年の伝統を誇る、いちはらポンプの技術を継承し、ジーエムいちはら工業株式会社を設立 本社及び工場新設 |
昭和47年 3月 |
昭和46年7月よりの8ヶ月間 消防車約100台、警察庁放水車、インドネシア、フィリピン、ラオス等多数受注 |
昭和48年 1月 |
爾後増産拡販の実績を挙げ、当初よりの計画通り第二期工事として工場敷地、建物(工場、試験場、事務所、倉庫)を増築完成 |
昭和48年 3月 |
47年度受注生産台数大幅に増加し、日造市原ポンプ株式会社同様、消防三大メーカーとなる(第一次目標達成) |
昭和48年 10月 |
48年度受注生産台数共40%増加し、東京消防庁、横浜市消防局、防衛庁の消防車30台の受注等大躍進をはかる |
昭和48年 11月 |
船舶用遠隔操作全油圧式大型伸縮式放水塔車(泡放射)を開発、納入 |
昭和49年 2月 |
全油圧操作2段伸縮式放水塔車(泡放射)を開発、日本鉱業株式会社水島製油所に納入 |
昭和50年 3月 |
小松島市に20m級 屈折はしご付消防ポンプ自動車(スノーケル)、納入 消防界初めての無人走行、無人遠隔操作の装甲化学車を東京消防庁に納入 |
昭和51年 3月 |
防衛庁全数、東京消防庁23台と年々納入台数を延ばす |
昭和52年 7月 |
日本初、27m高所放水車を完成鹿島石油株式会社に第1号車として納入 |
昭和53年 8月 |
高所放水車・大型化学消防ポンプ自動車・原液搬送車その他、受注台数大幅に増加のため、新組立工場増築完成 |
昭和53年 9月 |
成田空港警備用として、遊撃放水車大量受注 |
昭和53年 10月 |
53年度 東京消防庁、消防ポンプ自動車全数44台を当社一社にて受注 |
昭和54年 2月 |
53年度受注台数250台 突破 |
昭和55年 12月 |
タイ向け水槽付消防ポンプ自動車159台 受注 |
昭和56年 6月 |
フィリピン向け水槽付消防ポンプ自動車 受注 |
昭和56年 7月 |
タイ向け水槽付消防ポンプ自動車 第1回分 出荷 |
昭和56年 9月 |
インドネシア向けポンプ装置受注 |
昭和56年 11月 |
タイ向け水槽付消防ポンプ自動車 第2回分 出荷 |
昭和57年 1月 |
フィリピン向け水槽付消防ポンプ自動車、化学消防ポンプ自動車 受注 |
昭和58年 10月 |
インドネシア向けポンプ装置100set納入 |
昭和59年 | はしご車 試作 |
昭和60年 8月 |
大阪市消防局 救助工作車、水槽付消防ポンプ自動車、化学消防ポンプ自動車(Ⅳ型)受注 |
昭和61年 4月 |
タイ向け空港用大型化学消防ポンプ自動車 受注 |
昭和62年 1月 |
バングラディッシュ向け化学消防ポンプ自動車 受注 |
昭和62年 8月 |
大阪市消防局、小型消防ポンプ自動車 受注 |
昭和63年 9月 |
台湾向け化学消防ポンプ自動車 受注 |
平成元年 8月 |
川崎市消防局、小型消防ポンプ自動車 受注 |
平成2年 8月 |
川崎市消防局、水槽付消防ポンプ自動車 受注 |
平成3年 4月 |
代表取締役社長、光野巍 就任 |
平成5年 3月 |
関西国際空港空港用化学消防車(4500L)、給水車(8000L)納入 |
平成9年 3月 |
岩手県花巻空港空港用化学消防車(12500L)納入 |
平成12年 3月 |
青森県青森空港空港用化学消防車(12500L)納入 |
平成8年 10月 |
中華人民共和国大型化学消防車納入 |
平成12年 8月 |
住友化学工業株式会社甲種化学車(省力型)納入 |
平成13年 3月 |
はしご車35m東急車輛製造株式会社との共同開発により完成 |
平成15年 3月 |
株式会社ジャパンエナジー(鹿島石油株式会社)大型化学高所放水車(省力型)27m級納入 |
平成21年 1月 |
ISO9001認証取得 |
平成26年 9月 |
ISO14001認証取得 |
令和6年 3月 |
一般社団法人 日本自動車車体工業会に加盟 |
現在に至る